故郷ネタ第二弾。夕張が輝いていた時代の写真集。撮影者の安藤文雄氏は夕張北高校で教鞭を執った後、曹洞宗の住職をしながら故郷の栄枯盛衰を撮り続ける。私の生まれる以前の写真も多く、母校若菜小学校の当時の生徒の多さに驚愕する。1960年の在校生2000人以上。小学校の記憶は石炭ストーブの当番を思い出す。当番は二人で石炭庫へ教室の石炭受けの中身がなくなりかけると手がちぎれそうになりながら一斗缶に入った石炭を階段を上りながら運んだ。
火を起こす作業も生徒が担当だったのだろうか?オガクズライターで石炭を燃やした記憶もあるような…三時限目には石炭ストーブの上の蒸発盥の中に牛乳を温める作業もあったのは確かな記憶があるのだが…
もうひとつは、絵が下手な私が中央廊下の壁に一度だけ友人のW君の肖像画を描いて貼り出されたこと。
1969年のマラソン大会の写真もある、確か、学年毎にスタートして約2キロの距離を走る。長距離は比較的得意で、いつも10番台を維持していた記憶があるのだが…
5、6年生の担任は五十嵐先生?私が中学生になった時に病気で亡くなられたような記憶が…
若菜神社の写真は1967年と記されている。公園の手前に写ってはいないが平和保育所があった。当時小学2年生でこのあたりは家の前だったので毎日遊んでいた記憶が甦る…

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