自己紹介

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ひとり旅が好きで国内47都道府県を制覇。数年前に広告会社を早期退職後ぷらぷらしながら行った国。中華人民共和国、中華民国台湾、ラオス、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシア、モンテネグロ、アルバニア、ギリシャ(コルフ島だけ)等。地元の人が食べるものを食べ、美術館を見るのが良いですね!映画に関しては、やはり映画が必要とされていた黄金期の邦画が好き。溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男、木下恵介、渋谷実、山本薩夫、新藤兼人、増村保造、森一生、三隅研次、久松静児等。 浦島太郎状態で迎えた2011.3.11 自分にできる事は少なく、考えた末除染作業に参加。しかし除染作業も一時中断し、瓦礫撤去作業と考え宮城へ来てみるが瓦礫撤去作業も一段落したようで…

2011年10月7日金曜日

夕張「記憶の道草」(佐藤康雄著:パロル舎刊)

数年前に購入した写真集。著者(写真・文)は佐藤康雄氏。二十数年ぶりに帰郷した著者の当時の複雑な心境が現在(といっても2002年度時点)の夕張と過去の記憶の風景が交差しながら思い出の地を巡る私小説風写真集。実は私も、同時代同じエリアにいました。

若菜小学校、千代田中学校は私の母校でもあります。高校は市内では進学校であった北高ではなく、秀峰夕張岳とシューパロ湖の麓の東高ですが、佐藤氏は私の兄と同学年の方のようです。

当時若菜神社(著書の中では平和神社と表記)と公園の中にあったプールから平和グランドの手前にあった小川と池らしき場所で、私もポンポン船やマブチモーターの潜水艦で遊んでいたのです。

死んだ父が平和保育所の所長をしていた関係で6歳から15歳まで保育所に併設された住居に住んでいました。夜になると民家(千代田1区2区3区)と少し離れていたので両親が不在の時は不安でした。正式な住所は千代田7番地と表記されていたはずです。

懐かしい商店の名前に記憶の断章が呼び起こされたのは言うまでもありませんが、平和炭鉱の抗内火災の鎮火のための注水作業時のサイレンの音の記憶が記されていました。私は小学3年生でしたが、クラスメイトの父親がひとりその中に取り残されていて彼の哀しい顔とその時の鎮魂のサイレンが永く脳裏に焼き付いていました。

まさしくシンクロニシティです。

1 件のコメント:

  1. 私も、1957年夕張うまれです。たまたま図書館で写真集みて、懐かしい思いでした。

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