数年前に購入した写真集。著者(写真・文)は佐藤康雄氏。二十数年ぶりに帰郷した著者の当時の複雑な心境が現在(といっても2002年度時点)の夕張と過去の記憶の風景が交差しながら思い出の地を巡る私小説風写真集。実は私も、同時代同じエリアにいました。
若菜小学校、千代田中学校は私の母校でもあります。高校は市内では進学校であった北高ではなく、秀峰夕張岳とシューパロ湖の麓の東高ですが、佐藤氏は私の兄と同学年の方のようです。
当時若菜神社(著書の中では平和神社と表記)と公園の中にあったプールから平和グランドの手前にあった小川と池らしき場所で、私もポンポン船やマブチモーターの潜水艦で遊んでいたのです。
死んだ父が平和保育所の所長をしていた関係で6歳から15歳まで保育所に併設された住居に住んでいました。夜になると民家(千代田1区2区3区)と少し離れていたので両親が不在の時は不安でした。正式な住所は千代田7番地と表記されていたはずです。
懐かしい商店の名前に記憶の断章が呼び起こされたのは言うまでもありませんが、平和炭鉱の抗内火災の鎮火のための注水作業時のサイレンの音の記憶が記されていました。私は小学3年生でしたが、クラスメイトの父親がひとりその中に取り残されていて彼の哀しい顔とその時の鎮魂のサイレンが永く脳裏に焼き付いていました。
まさしくシンクロニシティです。
私も、1957年夕張うまれです。たまたま図書館で写真集みて、懐かしい思いでした。
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