監督:アンジェイ・ワイダ
脚本:イエジー・アンジェイエフスキー
イエジー・スコリモフスキー
撮影:クシュシュトフ・ウイニエウイッチ
音楽:クシュシュトフ・コメダ
出演:タデウシュ・ウオムニツキ(アンジェイ/バジリ)
クリスティナ・スティブウコフスカ(マグダ/ペラギア)
ズビグニエフ・チブルスキー(エドモンド)
アンナ・チェビェレフスカ(ミルカ)イエジー・スコリモフスキー(ボクサー役)
ロマン・ポランスキー(ベーシスト役)
クシュシュトフ・コメダ(本人)
アンジェイ・ワイダ 1926年ポーランド、スヴァウキ(リトニアとの国境)出身。クラクフ美術大学入学後、ウッチ映画大学へ編入。1954年「世代」で監督デビュー。1956年「地下水道」1958年「灰とダイヤモンド」の所謂抵抗三部作で世界的評価を受ける。
1981年「鉄の男」でカンヌ映画祭でパルム・ドール受賞。常にポーランドの歴史・政治に対して目を向けた話題作を発表し続ける。
この作品は本人がインタビューで答えたように、最も政治的に中立的な作品であり、ジャズが禁止されていたポーランド国内である一時期検閲が緩んだ時期に作られた、自身にとっても貴重な作品である。
あらゆるものからの束縛を嫌い、責任ある自由を求め、当時のエリートには珍しく権力志向も希薄な若者のある一日の日常を描いたワイダ監督の作品の中では異色作である。主人公が理想とする生活は社会主義国家では否定されるようなある意味小市民的生活スタイルである。しかし、完成から公開まで二年の月日を要し、結末を含む多くのシーンがやはり変更を求められた作品であるそうだ。
あらすじ及び感想
主人公アンジェイのガールフレンドであるミルカがワルシャワの街を颯爽と歩いているシーンから始まる。ミルカのバックにあるビルボードは実は映画タイトルの原題「無邪気な魔術師」と主人公二人の顔写真の内容になっている。オープニングのタイトルロゴの部分がそのもまスムーズに最初のシーンに入るので、とてもセンスの良さを感じた。
古びたアパートに住むアンジェイは体育協会付の医師である。ボクシングジムの選手の検診を受け持ちながら、三年前からはじめたジャズバンドのドラム演奏を楽しみにしている。その日の朝髭を剃りながら、ミルカとの会話を録音したオープンリールを足の指で操作しながら、会話を聞きながら何かを思案している風である。
その時、ミルカは部屋の窓に小石を三個投げつけるが、アンジェイはミルカだと気づくが電話もでないで居留守をつかう。
ミルカとの付き合いに距離を取りたいのだろう、部屋を出ると、同僚であり、バンド仲間のエドモンドが自動車試験のために夕方の仕事を交代してほしいと依頼する。そしてミルカが淋しがっているとアドバイスを受け彼の車に乗り込む。
職場に着くと、そこには看護婦のテレサがいて先週クラブで女の子といたのを見たといわれる。アンジェイはかなりのプレイボーイらしく、会話の中身を聞くと以前付き合っていたのかもしれない。私の時は窓に投げる小石の合図は一個だったのにと…
選手の検診を始めると今日試合の選手(この作品の脚本も書いているイエジー・スコリモフスキー昨年数十年ぶりに監督作品を発表)の目の傷を見つけドクターストップで試合に出れなくなる。彼女が見に来るし、相手も弱いので出ると粘るがそこは医者認めません。この件が後に…
夜八時のステージになんとか間に合い演奏を始めると、店内の最前列にミルカが陣取っている。ちなみにジャズバンドのベーシスト役は若き日のロマン・ポランスキーである。演奏終了後、医者でありながらドラマーという珍しさか女性記者の取材を受け、思わせ振りな会話をしその気になった記者からもらった電話番号のメモを見向きもせずに放り棄てるアンジェイ。
ストーカー気味のミルカを撒きエドモンドとの待ち合わせのクラブで飲んでいると、エドモンドがイカス女子を見つけ、アンジェイに誘うようにそそのかす。連れの男をなんとか引き離し、彼女ときっかけを掴むが、終電のことが気になる彼女はタクシーを捜すようにアンジェイに依頼するが車は見つからず、あきらめてバスに乗り込もうとすると彼女は二人分の料金を払う。
仕方がなく乗り込むアンジェイ。しかし席は離れたままだ。なんとか急いで終電に間に合うと今度は、「あなたが急いでるみたいね」と言い出し、週電をやり過ごす二人。散々振り回された挙句結局はお持ち帰り?(少し下品でした)
二階のボロイ部屋に入るまでに登山に例えながら会話を楽しむ二人。二人は協定書を作り出すことを提案しあい、ウオッカを飲みながら、名を名乗る。キスを一度する。ベッドに行く前に時事問題を話し合う。ベッドに行ってからは修正もできるし解釈の仕方も自由。最終項を決めかねるアンジェイに彼女は私たちの協定に疑問符は似合わないと挑発する。
ウオッカをグラスに注ぎながら、項目を反芻する二人。ラジオからは映画「無邪気な魔術師から」というMCでコメダのジャズが流れてくる。彼女は“ペラギア”アンジェイは“バジリ”と改めて名乗りグラスを交わす二人。バジリが様子を窺いながらキスのタイミングを考えていると、ペラギアがキス話といいながら第二項の項目に横線を書き入れる。
しかしそこでなぜかキスをするふたり、やっぱりね!ここでしないと逆に問題かも。ここから一転知的な会話に。ペラギアは人生の中で起こることは全て無意味で、仮に意味があっても人間の理解をはるかに超えている。例えばスズメのように世界の歴史や社会の仕組みも知らない。大人は若い世代は世界を知ろうとしないと非難するけど、わたしたちはそんな幻想は持てない。スズメ以下だと自覚しているから。
それに反して、バジリは世代間の問題には興味はなく、興味の対象はいい靴や靴下そしてタバコ。嫌いな事は二日酔い、人から強制されることに、そしてイチゴ。もしくじに当たったら、高級なドイツ車を買い、フランスやイタリアに旅行に行きたいと言う。そういえば、バジリことアンジェイは仕立ての良いフランス製のコートを見に纏い、将来の夢はローマオリンピックを見に行くことだと語っていた。やはり50年前の冷戦時代でも若者は西欧に憧れが強かったのだろう。
そんなバジリをペラギアは単調な生活のせいで、無いものねだりをしていると笑いだした。その時外からアンジェイを呼ぶエドモンドの声が。アンジェイの成り行きを心配してクラブでずっと待ち続けていたらしい。おまけに酔ったミルカまで面倒をみていることに対してイラついているようだった。
しかし、窓からペラギオの姿をみると事態の推移を理解し、ワインボトルをアンジェイ目がけてほうり投げた。家帰るのが遅すぎるのでスポーツセンターで休むことにするらしい。待たせていたミルカに巧い嘘をついて、イチゴが好きなのに、彼は嫌いのと泣きじゃくるミルカを負ぶって帰るエドモンド。
エドモンドからもらったワインを飲みながら、ペラギアを探すとシーツをローマ時代の女性のようにまきつけた姿で向かってくる。アンジェイはペラギアに本当の名前を聞くが、ペラギアはペラギアだと答える。洗濯ロープに纏っているシーツを脱ぎ捨てると残念ながら来た時の衣服のままに。少しイラつくバジリ、私も、バジリだかアンジェイだか混乱してきました。
協定書ゲームに興味を失った二人はマッチ箱を使った野球拳ゲームに突入。マッチ箱の立つ場所で点数を決め、五点ごとに衣服を一枚づつ脱ぎ始めることに。最初苦戦していたバジリだが予想通り後半自力を発揮し大逆転。涙目になりながら下着姿になり、どちらを脱いだらいいのかバジリに問いかけるが、僕は紳士だと答えながら衣服を手渡すバジリ。
やはり50年前の社会主義国の映画です。しかし私が学生の頃は社会主義の国の女性は性にたいしてオープンだとイ11PMか何かで聞いたような記憶が?そして何事も無かったようにフライパンでスクランブルエッグを作る二人。カーテンを開き窓を開けると夜が明けている。バジリは舞台にみたてるように窓から体を投げ出し、親愛なる紳士淑女の皆さん芝居は終わりです。お帰りくださいと叫ぶ。
テーブルに戻り、ワインとパン、スクランブルエッグの朝食を食べながら時代精神を完璧に捉えていた協定書、いや脚本だったとカメラ目線で語りだすバジリ。これがこの作品のあるいはメッセージなのか?さらに続く。彼は寛大であまねく存在する。現実の世界にも、夢の中にも僕らは時に彼らの存在を忘れるが彼の脚本を忠実に演じている。例え無分別だと言われてもね
ペラギアは疲れてベットに横たわっているが、バジリのはじめたクロスワードパズルに鋭く答えるが睡魔に襲われる二人。その時窓の外からトランペットの音が…アンジェイが外に出ると夜遊びに疲れたバンド仲間が休ませてほしいと集団でやって来た。この中に、小柄の眼鏡をかけた男がクシュシュトフ・Tコメダです。才能ある音楽家でしたが、アメリカでの交通事故が原因で若くして亡くなりました。ロマン・ポランスキーの作品の音楽を数多く担当していました。
朝の五時半です。アンジェイの部屋に女性がいることを知った仲間は諦めて他の友人の家へ向かいます。歩きながらひとりの男が呟きます。古代の秘術師は財宝と薬草を求めた。おれたち無邪気な魔術師は_自分たちの希望を殺すのが仕事だ。帰ろうとしたアンジェイがコメダを呼び止め、聖書に出てくる三つの美徳を尋ねます。信仰・希望・愛とコメダが答えると。うんざりだと返すアンジェイ。ここでも、ロマン・ポランスキーが登場しています。
そして、部屋に戻るとペラギアがいません。アパートの近くを探しますが見つかりません。結局スクーターに乗ってワルシャワ中央駅までやって来ます。が見つかりません。スポーツセンターにいるエドモンドのところに行き、昨日ペラギアと一緒にいた男がどこで降りたか聞こうとしますが、寝ていたところを起こされたエドモンドは取り合ってくれません。
さらに昨日の試合の出場を断念させられたイエジー・スコリモフスキー演じるところのボクサーが現れ殴りかかる勢いで勝負を挑みますが、図体の割りに軟弱のようで、イロ男のアンジェイのパンチ一発でダウンしてしまいます。見立てのとおり顔面の傷口から出血です。さすがに医者ですね!エドモンドの名前を叫びながら傷の手当てをお願いしてペラギアを再び探しに戻りますが、諦めて部屋に帰るとなんと、きれいに掃除された部屋の中にペラギアはいました。
散歩に行ってきたとすずしい笑顔でペラギアは話しかけます。紅茶を勧めますが当然バジリは不機嫌です。ラジオをつけると7時35分の案内が。疲れ果てたバジリに向かってペラギアは30分くらいあなたに恋していたと話しかけます。
スカーフを頭に被り、眠り込んでいるようなバジリにさようならバジリと呼びかけますが返事がありません。バジリの顔を覗き込んでもう一度さようならを言いますがバジリはそのままです。
パラギアの気配を失った瞬間バジリの目が開きます。バジリはやはり寝てはいませんでした。ドアを開け階段を下りようとした瞬間、そこで立ちどまり思い直したようにドアを覗き込むように開け部屋に入るパラギアがいます
手直しが入る前のエンディングが知りたいですね。
正直こんなスタイリッシュな映画を抵抗三部作の作品の直後に撮影したことに驚きました。これは配給会社のセンスだと思いますが、個人的には邦題をつけるのはあまり好きじゃないのですが、この作品の「夜の終りに」はいいですね!
アンジェイ・ワイダ 1926年ポーランド、スヴァウキ(リトニアとの国境)出身。クラクフ美術大学入学後、ウッチ映画大学へ編入。1954年「世代」で監督デビュー。1956年「地下水道」1958年「灰とダイヤモンド」の所謂抵抗三部作で世界的評価を受ける。
1981年「鉄の男」でカンヌ映画祭でパルム・ドール受賞。常にポーランドの歴史・政治に対して目を向けた話題作を発表し続ける。
この作品は本人がインタビューで答えたように、最も政治的に中立的な作品であり、ジャズが禁止されていたポーランド国内である一時期検閲が緩んだ時期に作られた、自身にとっても貴重な作品である。
あらゆるものからの束縛を嫌い、責任ある自由を求め、当時のエリートには珍しく権力志向も希薄な若者のある一日の日常を描いたワイダ監督の作品の中では異色作である。主人公が理想とする生活は社会主義国家では否定されるようなある意味小市民的生活スタイルである。しかし、完成から公開まで二年の月日を要し、結末を含む多くのシーンがやはり変更を求められた作品であるそうだ。
あらすじ及び感想
主人公アンジェイのガールフレンドであるミルカがワルシャワの街を颯爽と歩いているシーンから始まる。ミルカのバックにあるビルボードは実は映画タイトルの原題「無邪気な魔術師」と主人公二人の顔写真の内容になっている。オープニングのタイトルロゴの部分がそのもまスムーズに最初のシーンに入るので、とてもセンスの良さを感じた。
古びたアパートに住むアンジェイは体育協会付の医師である。ボクシングジムの選手の検診を受け持ちながら、三年前からはじめたジャズバンドのドラム演奏を楽しみにしている。その日の朝髭を剃りながら、ミルカとの会話を録音したオープンリールを足の指で操作しながら、会話を聞きながら何かを思案している風である。
その時、ミルカは部屋の窓に小石を三個投げつけるが、アンジェイはミルカだと気づくが電話もでないで居留守をつかう。
ミルカとの付き合いに距離を取りたいのだろう、部屋を出ると、同僚であり、バンド仲間のエドモンドが自動車試験のために夕方の仕事を交代してほしいと依頼する。そしてミルカが淋しがっているとアドバイスを受け彼の車に乗り込む。
職場に着くと、そこには看護婦のテレサがいて先週クラブで女の子といたのを見たといわれる。アンジェイはかなりのプレイボーイらしく、会話の中身を聞くと以前付き合っていたのかもしれない。私の時は窓に投げる小石の合図は一個だったのにと…
選手の検診を始めると今日試合の選手(この作品の脚本も書いているイエジー・スコリモフスキー昨年数十年ぶりに監督作品を発表)の目の傷を見つけドクターストップで試合に出れなくなる。彼女が見に来るし、相手も弱いので出ると粘るがそこは医者認めません。この件が後に…
夜八時のステージになんとか間に合い演奏を始めると、店内の最前列にミルカが陣取っている。ちなみにジャズバンドのベーシスト役は若き日のロマン・ポランスキーである。演奏終了後、医者でありながらドラマーという珍しさか女性記者の取材を受け、思わせ振りな会話をしその気になった記者からもらった電話番号のメモを見向きもせずに放り棄てるアンジェイ。
ストーカー気味のミルカを撒きエドモンドとの待ち合わせのクラブで飲んでいると、エドモンドがイカス女子を見つけ、アンジェイに誘うようにそそのかす。連れの男をなんとか引き離し、彼女ときっかけを掴むが、終電のことが気になる彼女はタクシーを捜すようにアンジェイに依頼するが車は見つからず、あきらめてバスに乗り込もうとすると彼女は二人分の料金を払う。
仕方がなく乗り込むアンジェイ。しかし席は離れたままだ。なんとか急いで終電に間に合うと今度は、「あなたが急いでるみたいね」と言い出し、週電をやり過ごす二人。散々振り回された挙句結局はお持ち帰り?(少し下品でした)
二階のボロイ部屋に入るまでに登山に例えながら会話を楽しむ二人。二人は協定書を作り出すことを提案しあい、ウオッカを飲みながら、名を名乗る。キスを一度する。ベッドに行く前に時事問題を話し合う。ベッドに行ってからは修正もできるし解釈の仕方も自由。最終項を決めかねるアンジェイに彼女は私たちの協定に疑問符は似合わないと挑発する。
ウオッカをグラスに注ぎながら、項目を反芻する二人。ラジオからは映画「無邪気な魔術師から」というMCでコメダのジャズが流れてくる。彼女は“ペラギア”アンジェイは“バジリ”と改めて名乗りグラスを交わす二人。バジリが様子を窺いながらキスのタイミングを考えていると、ペラギアがキス話といいながら第二項の項目に横線を書き入れる。
しかしそこでなぜかキスをするふたり、やっぱりね!ここでしないと逆に問題かも。ここから一転知的な会話に。ペラギアは人生の中で起こることは全て無意味で、仮に意味があっても人間の理解をはるかに超えている。例えばスズメのように世界の歴史や社会の仕組みも知らない。大人は若い世代は世界を知ろうとしないと非難するけど、わたしたちはそんな幻想は持てない。スズメ以下だと自覚しているから。
それに反して、バジリは世代間の問題には興味はなく、興味の対象はいい靴や靴下そしてタバコ。嫌いな事は二日酔い、人から強制されることに、そしてイチゴ。もしくじに当たったら、高級なドイツ車を買い、フランスやイタリアに旅行に行きたいと言う。そういえば、バジリことアンジェイは仕立ての良いフランス製のコートを見に纏い、将来の夢はローマオリンピックを見に行くことだと語っていた。やはり50年前の冷戦時代でも若者は西欧に憧れが強かったのだろう。
そんなバジリをペラギアは単調な生活のせいで、無いものねだりをしていると笑いだした。その時外からアンジェイを呼ぶエドモンドの声が。アンジェイの成り行きを心配してクラブでずっと待ち続けていたらしい。おまけに酔ったミルカまで面倒をみていることに対してイラついているようだった。
しかし、窓からペラギオの姿をみると事態の推移を理解し、ワインボトルをアンジェイ目がけてほうり投げた。家帰るのが遅すぎるのでスポーツセンターで休むことにするらしい。待たせていたミルカに巧い嘘をついて、イチゴが好きなのに、彼は嫌いのと泣きじゃくるミルカを負ぶって帰るエドモンド。
エドモンドからもらったワインを飲みながら、ペラギアを探すとシーツをローマ時代の女性のようにまきつけた姿で向かってくる。アンジェイはペラギアに本当の名前を聞くが、ペラギアはペラギアだと答える。洗濯ロープに纏っているシーツを脱ぎ捨てると残念ながら来た時の衣服のままに。少しイラつくバジリ、私も、バジリだかアンジェイだか混乱してきました。
協定書ゲームに興味を失った二人はマッチ箱を使った野球拳ゲームに突入。マッチ箱の立つ場所で点数を決め、五点ごとに衣服を一枚づつ脱ぎ始めることに。最初苦戦していたバジリだが予想通り後半自力を発揮し大逆転。涙目になりながら下着姿になり、どちらを脱いだらいいのかバジリに問いかけるが、僕は紳士だと答えながら衣服を手渡すバジリ。
やはり50年前の社会主義国の映画です。しかし私が学生の頃は社会主義の国の女性は性にたいしてオープンだとイ11PMか何かで聞いたような記憶が?そして何事も無かったようにフライパンでスクランブルエッグを作る二人。カーテンを開き窓を開けると夜が明けている。バジリは舞台にみたてるように窓から体を投げ出し、親愛なる紳士淑女の皆さん芝居は終わりです。お帰りくださいと叫ぶ。
テーブルに戻り、ワインとパン、スクランブルエッグの朝食を食べながら時代精神を完璧に捉えていた協定書、いや脚本だったとカメラ目線で語りだすバジリ。これがこの作品のあるいはメッセージなのか?さらに続く。彼は寛大であまねく存在する。現実の世界にも、夢の中にも僕らは時に彼らの存在を忘れるが彼の脚本を忠実に演じている。例え無分別だと言われてもね
ペラギアは疲れてベットに横たわっているが、バジリのはじめたクロスワードパズルに鋭く答えるが睡魔に襲われる二人。その時窓の外からトランペットの音が…アンジェイが外に出ると夜遊びに疲れたバンド仲間が休ませてほしいと集団でやって来た。この中に、小柄の眼鏡をかけた男がクシュシュトフ・Tコメダです。才能ある音楽家でしたが、アメリカでの交通事故が原因で若くして亡くなりました。ロマン・ポランスキーの作品の音楽を数多く担当していました。
朝の五時半です。アンジェイの部屋に女性がいることを知った仲間は諦めて他の友人の家へ向かいます。歩きながらひとりの男が呟きます。古代の秘術師は財宝と薬草を求めた。おれたち無邪気な魔術師は_自分たちの希望を殺すのが仕事だ。帰ろうとしたアンジェイがコメダを呼び止め、聖書に出てくる三つの美徳を尋ねます。信仰・希望・愛とコメダが答えると。うんざりだと返すアンジェイ。ここでも、ロマン・ポランスキーが登場しています。
そして、部屋に戻るとペラギアがいません。アパートの近くを探しますが見つかりません。結局スクーターに乗ってワルシャワ中央駅までやって来ます。が見つかりません。スポーツセンターにいるエドモンドのところに行き、昨日ペラギアと一緒にいた男がどこで降りたか聞こうとしますが、寝ていたところを起こされたエドモンドは取り合ってくれません。
さらに昨日の試合の出場を断念させられたイエジー・スコリモフスキー演じるところのボクサーが現れ殴りかかる勢いで勝負を挑みますが、図体の割りに軟弱のようで、イロ男のアンジェイのパンチ一発でダウンしてしまいます。見立てのとおり顔面の傷口から出血です。さすがに医者ですね!エドモンドの名前を叫びながら傷の手当てをお願いしてペラギアを再び探しに戻りますが、諦めて部屋に帰るとなんと、きれいに掃除された部屋の中にペラギアはいました。
散歩に行ってきたとすずしい笑顔でペラギアは話しかけます。紅茶を勧めますが当然バジリは不機嫌です。ラジオをつけると7時35分の案内が。疲れ果てたバジリに向かってペラギアは30分くらいあなたに恋していたと話しかけます。
スカーフを頭に被り、眠り込んでいるようなバジリにさようならバジリと呼びかけますが返事がありません。バジリの顔を覗き込んでもう一度さようならを言いますがバジリはそのままです。
パラギアの気配を失った瞬間バジリの目が開きます。バジリはやはり寝てはいませんでした。ドアを開け階段を下りようとした瞬間、そこで立ちどまり思い直したようにドアを覗き込むように開け部屋に入るパラギアがいます
手直しが入る前のエンディングが知りたいですね。
正直こんなスタイリッシュな映画を抵抗三部作の作品の直後に撮影したことに驚きました。これは配給会社のセンスだと思いますが、個人的には邦題をつけるのはあまり好きじゃないのですが、この作品の「夜の終りに」はいいですね!
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