久松静児
1921年 茨城県新治郡栄村出身。1990年死去。
第一外語学校英語科中退後、河合映画製作所入社。その後新興キネマへ移籍。1934年「暁の合唱」で監督デビュー。戦中戦後を大映でプログラムピクチャーを中心に活躍後、フリーになり、日活、東京映画、東宝などの各社で数多くの作品を撮り続けた職人気質の監督。
代表作に「安宅家の人々」1952年(大映) 「警察日記」1954年(日活) 「神阪四郎の犯罪」1956年(日活) 「愛妻記」1959年(東京映画) 「地の涯に生きるもの」1960年(東宝) 「南の島に雪が降る」1961年(東京映画) 「クレージー作戦先手必勝」1961年(東宝) 「喜劇駅前茶釜」1961年(東京映画)を含む駅前シリーズ等。
よほどの映画好きでも、好きな映画監督にあまり久松静児監督を一番にあげる人はいないでしょう。(もしいたらスミマセン)私も、レンタルビデオのサイトで偶然「神阪四郎の犯罪」を見つけ申し込みをしました。
随分と昔の学生時代に、石川達三の小説「神坂四郎の犯罪」を呼んだことがあり、強く印象に残っていて映画化されていることに驚きました。法廷劇ですが、明確な結論は出さず主人公の「現実の社会では真相らしきもが真相で第三者の客観性だけが真実とされ、それが時には冤罪を生みだすのだ」というセリフが心に残ります。シリアス森繁初めて見ました!
ちなみに映画の阪の字は、撮影中に同姓同名の神坂四郎氏なる人物が名乗り出て急遽一文字を変えたそうです。
その作品で初めて、久松静児なる存在を知ることになりました。「警察日記」を次にレンタルして観ました。どちらの作品にもデビューしたての若き日の宍戸錠が端役で出演しています。
会津地方の農村を舞台にした庶民と人情警官の物語です。監督の目線の低さに共感がもてます。当時三歳の二木てるみの演技に脱帽です。農村の秋の祭り頃に幟が立つのですが、「五穀豊穣」といっしょに「四海恭平」という四文字に何か国の安泰と平和を願う人々の思いが偲ばれます。
その後、喜劇駅前シリーズ。このシリーズ作品全24本のうち、佐伯幸三監督の12本には及びませんが2作目から6作目までの5本が久松監督がメガホンを撮りました。1作目を撮った豊田四郎監督作品は文芸調の内容でしたので、実際はタイトルに〝喜劇〟が付け加えられた2作目の「喜劇駅前団地」からがシリーズが始まったといっても過言ではないでしょう。 3作目「喜劇駅前弁当」4作目「喜劇駅前温泉」5作目「喜劇駅前飯店」6作目「喜劇駅前茶釜」と続きます。庶民の生活と笑いの ペーソスを鏤めて。さらに数あるクレージキャツシリーズのひとつ「作戦シリーズ」の一作目を担当します。
そうしてある程度の作品を鑑賞した時に思い出したのが、「南の島に雪が降る」でした。かなり以前?二十年くらい昔?日曜日の午後にテレビの邦画放送の枠があった時期に何度か放送されていて、二度ほど見た記憶がありました。俳優の加東大介の体験を下にした作品で、地味な作品ですが、心に残る内容でした。
この作品も久松作品と気付かされ少し言いようのない感情に突き動かされました。戦中戦後と、メロドラマやスリラーものを量産していた久松監督は会社側にはおそらく無難な作品を撮ってくれる安心してまかせられる監督だったのでしょう。
そんな監督が、子息に何かの折に、「お父さんの代表作ははどんな作品?」というようなニュアンスで聞かれたそうです。そんなことを考えたこともなかった職人肌の監督はそこから奮起し、「警察日記」は大ヒットし自己のスタイルを完全に確立し、名声を得たようです。
昨年NHK-BS放送で「地の涯に生きるもの」が放映されました。ソフト化されていない貴重な作品です。森繁プロダションの記念すべき第一作品だったようです。知床の漁師の過酷な冬の暮らしぶりが丁寧に描かれていますが、残念ながら映画自体はあまりヒットしなかったようです。
松竹のイメージが強い渥美清も少しだけ出演していました。
森繁久彌は多くの久松作品に出演していますが、この作品では俳優のほかにプロデューサーも兼ねており、作品にかける思い入れは並々ならぬものがあったようで、ロケ中に口ずさんだ歌がやがて大ヒットした「知床旅情」の元歌だったと言うのは有名な話ですよね。
超大作や話題作とは無縁な久松静児監督は巨匠と言う範疇に入るかどうか私にもわかりませんが、もう少し評価されても良い映画監督であることは間違いありません。
本人の自伝のようなものも残されてなく、色々探して見ましたが写真もありませんでした。
取り上げられている唯一の書籍は「日本映画の巨匠たちⅡ」佐藤忠男著くらいのようです。
(キネマ旬報の1956年度4月上旬号で特集が組まれていたようですが古書店巡りですね!)
そんな監督が、子息に何かの折に、「お父さんの代表作ははどんな作品?」というようなニュアンスで聞かれたそうです。そんなことを考えたこともなかった職人肌の監督はそこから奮起し、「警察日記」は大ヒットし自己のスタイルを完全に確立し、名声を得たようです。
昨年NHK-BS放送で「地の涯に生きるもの」が放映されました。ソフト化されていない貴重な作品です。森繁プロダションの記念すべき第一作品だったようです。知床の漁師の過酷な冬の暮らしぶりが丁寧に描かれていますが、残念ながら映画自体はあまりヒットしなかったようです。
松竹のイメージが強い渥美清も少しだけ出演していました。
森繁久彌は多くの久松作品に出演していますが、この作品では俳優のほかにプロデューサーも兼ねており、作品にかける思い入れは並々ならぬものがあったようで、ロケ中に口ずさんだ歌がやがて大ヒットした「知床旅情」の元歌だったと言うのは有名な話ですよね。
超大作や話題作とは無縁な久松静児監督は巨匠と言う範疇に入るかどうか私にもわかりませんが、もう少し評価されても良い映画監督であることは間違いありません。
本人の自伝のようなものも残されてなく、色々探して見ましたが写真もありませんでした。
取り上げられている唯一の書籍は「日本映画の巨匠たちⅡ」佐藤忠男著くらいのようです。
(キネマ旬報の1956年度4月上旬号で特集が組まれていたようですが古書店巡りですね!)
学陽書房刊 |
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