西洋哲学と東洋思想の融合を目指した、日本初の独創的な哲学体系と評価されている。西田は若い時から「禅」に心酔し、仏教思想も深めていた。私生活では結婚後わが子を相次いで亡くし、同時期に、母や妻も前後して世を去り、家庭的には不遇な時代を経験した。京都大学を退官した晩年は鎌倉で思索を続け、敗戦を待たずして1945年(昭和20年)6月死去。
まさしく、これが哲学書というのでしょうか?「いき」の構造どころではない難解な書物です。途中で何度も挫折しながら…戦前の学生はこんな書物が必読書とはレベルが高かったんですね!
私が思うに、明治期に書かれたというだけではなく、言葉の言い回しが独特というのか、哲学的言い回しなのかわかりませんが、スムーズになかなか前へは進みません。
序の中で本人が記していますが、書き上げた順序は第二編、弟三編、第一編、そして第四編ということだったようです。初めて読む人には、第一編を飛ばして、第二編がこの書の骨子であると述べ、更に第三編「善」は第二編の考えを基に論じた物で、独立した倫理学と見ても差し支えないと記しています。第四編は病中の作で不完全であるが、哲学の終結である宗教について記したと。
そう考えると、書かれた順番に読み返すと存外、スムーズに読破できる(わけないですね?)
私が少し理解できそうなのは、第一編、第一章 純粋経験のこの所
他人の意識は自己に経験ができず、自己の意識であっても、過去の想起、、現前であっても、これを判断した時は既に純粋の経験ではない。真の純粋経験は何らの意味もない。事実其儘の現在意識あるのみである。(中略)記憶においても、過去の意識が直ちに起こってくるのでもなく、従って過去を直覚するのでもない。過去と感じるのも現在の感情である。抽象的概念といっても決して超経験的のものではなく、やはり一種の現在意識である。
私も昔から、時間(未来・現在・過去)の概念、運命、偶然という事象に興味があり、行き着く所はやはり哲学的な自己の経験という概念の中で起こうるべき事実だけなのかも知れません。
目次
- 第一編 純粋経験
- 第一章 純粋経験
- 第二章 思惟
- 第三章 意志
- 第四章 知的直観
- 第二編 実在
- 第一章 考究の出立点
- 第二章 意識現象が唯一の実在である
- 第三章 実在の真景
- 第四章 真実在は常に同一の形式を有
- 第五章 真実在の根本的方式
- 第六章 唯一実在
- 第七章 実在の分化発展
- 第八章 自然
- 第九章 精神
- 第十章 実在としての神
- 第三編 善
- 第一章 行為上
- 第二章 行為下
- 第三章 意志の自由
- 第四章 価値的研究
- 第五章 倫理学の諸説其一
- 第六章 倫理学の諸説其二
- 第七章 倫理学の諸説其三
- 第八章 倫理学の諸説其四
- 第九章 善
- 第十章 人格的善
- 第十一章 善行為の動機(善の形式)
- 第十二章 善行為の目的(善の内容)
- 第十三章 完全なる善行
- 第四編 宗教
- 第一章 宗教的要求
- 第二章 宗教の本質
- 第三章 神
- 第四章 神と世界
- 第五章 知と愛
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