自己紹介

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ひとり旅が好きで国内47都道府県を制覇。数年前に広告会社を早期退職後ぷらぷらしながら行った国。中華人民共和国、中華民国台湾、ラオス、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシア、モンテネグロ、アルバニア、ギリシャ(コルフ島だけ)等。地元の人が食べるものを食べ、美術館を見るのが良いですね!映画に関しては、やはり映画が必要とされていた黄金期の邦画が好き。溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男、木下恵介、渋谷実、山本薩夫、新藤兼人、増村保造、森一生、三隅研次、久松静児等。 浦島太郎状態で迎えた2011.3.11 自分にできる事は少なく、考えた末除染作業に参加。しかし除染作業も一時中断し、瓦礫撤去作業と考え宮城へ来てみるが瓦礫撤去作業も一段落したようで…

2013年3月8日金曜日

福島での除染作業


2012年7月末から12月初旬まで福島県田村市で森林除染、引き続き、2013年1月末まで川俣町で公共施設の除染作業に参加しました。

田村市は国の直轄事業。川俣町は協議会が事業の発注者です。昨年の夏は全国的に猛暑続きで除染作業も過酷な状況で実施されました。しかし、経験者ならお分かりの通り、瓦礫撤去や勿論一般土木から比べると楽?です。過酷とは暑さという意味においてです。

田村市の作業では、危険手当の未払い、手抜き除染等が問題になりましたが、それ以前に多くの課題、改善されるべき状況が山積されているように思われます。

私は地質に関しての知識はありませんが、森の腐葉土は蓄積するまでに数十年の年月を要し、除去することにより一定の除染効果が期待できる半面、保水など森林の多面的な機能が失われるなどの課題もあるようです。

また、作業現場ではJV職員やスタッフの責任者の意向により指示が徹底されず、まったく逆の指示が出されたり、「見えないからやらなくてもいい」「見えるところだけきれいにしとけばいい」等工期を最優先した除染作業が行われていました。

さらに一般作業員も同じ作業をしているのにも係らず、所属会社の序列によって日当も大きく差がありました。私はゼネコンから5次(直前までは4次の認識)の会社でしたが、その下になると、問題になった危険手当の金額を下回る作業員の方もいらっしゃいました。

本来の除染の目的から逸脱し、営利目的、除染ビジネスで一儲けしようと考えている派遣会社が横行しているようにどうも私には思えてくるのです。

今後は、除染作業員の質向上のためにも、意味のない多重従属構造を改め、適正なレベルまでに集約するべきかと考えます。そうすることによって指針にある作業員の日当の確保が期待できます。また、作業員の宿泊先の問題も課題のひとつです。

作業現場の宿舎に入れるのはゼネコンに近い所属会社の人たちで、下に行くほど宿泊先は現場から遠くなり、通勤時間も長くなります。その場合宿舎も設備等も悪くなるケースが一般的ですが。

作業員の構成も2011年度のように全国各地から集まったのと変わり、地元福島県内の方が多くを占めるようになってきているようです。

少し気になったのは、福島県は浜通り、中通り、会津の三つの地区に大別されますが、原発立地により恩恵があった浜通りに対して、会津の人々は冷ややかに思われている方もいらっしゃるように思われます。

いままでも原発政策の恩恵をうけていて、また補償金等で楽をしている。高級車を購入したり、毎日ギャンブル三昧の生活を送っている等、まあ、一部にはそんな方もいるかも知りませんが、私の知り合った福島の方々は生真面目で、親切な方が多くいます。

ここ数日暖かく、雪が融けて春が近づく福島へ戻ろうと考えています。

前回の更新から一年経ち、一昨日ひとつ歳を重ねました。

2012年3月5日月曜日

図書館で観た映画作品(VHS/LD)江別市情報図書館

昨年末、諸事情で札幌の隣りまち江別市に住民票を移しました。

その後は福島県での除染作業に参加しました。現場作業員の一員として…

日本原子力研究開発機構(JAEA)が発注者で正式名称は「警戒区域。計画的避難区域等における除染モデル実証事業」

受託者は大手ゼネコン数社の共同企業体、いわゆるJVです。

作業目的は〇☆地区の除染エリアで適切な除染計画の策定や除染作業の効果についての評価等を行う。ということでした。

業務実施機関:平成23年11月22日~平成24年3月2日

私が参加したのは12月13日~翌年の1月24日迄です。ふたつのまちの除染に加わりました。

本当にゴーストタウンでした。(鉢絽前大臣の発言が問題視されましたが…)福島の人々は気の毒に思います。

2011.3.11のあの日の衝撃はやはり言葉には言い表せないものでした。

早期退職以降、これといった社会との関係をある意味放棄していた自分自身にできること(仕事という意味でも。50代の再就職は厳しいものですね?)がこの除染作業に参加することでした。

除染作業は今後、市町村レベルで本格化するまで現在は小休止状態ですので、急遽本日フェリーに乗り宮城へ瓦礫撤去作業へ行くことにしました。

所謂肉体労働は、生まれて初めてですが何か清清しい気持ちになりました。

除染の内容は改めてアップしようと考えています。

タイトルの内容に戻ります。私は学生時代に、名古屋市の鶴舞中央図書館でバイトをしたことがあり、図書館を比較的利用する者としても、この江別市情報図書館はお薦めです。

特にAVコーナーが(無論アダルトビデオではありません。念のため?)

DVD化されていないVHS作品と今はなつかしいLD(レーザーディスク)もあります。

それがなんと全て無料で見ることができます。貸し出しはできませんが。当時は江別市民ではありませんでしたが、札幌市民でも見ることはできるそうです。

スタッフの方々も親切で好感が持てます。多くの方が入れ替わりいらっしゃるのであるいはボランティアスタッフの方かも知れません?





DVD,LD,VHSそれぞれに対応。二人掛け用ソファーと一人用椅子席があります。

鑑賞した作品

小津安二郎監督
  1. 生まれてはみたけれど
  2. 浮草物語
  3. 東京の女・大学はでたけれど
  4. 学生ロマンス 若き日
  5. 淑女と髯
  6. 青春の夢いずこに
  7. その夜の妻
  8. 出来ごころ
  9. 朗らかに歩め
  10. 落第はしたけれど
  11. 父ありき
  12. 一人息子
  13. 長屋紳士録
  14. 風の中の牝鶏
  15. 晩春
  16. 早春
  17. 麦秋
  18. 秋日和
  19. お茶漬けの味
  20. 東京暮色
  21. 彼岸花
  22. お早う
  23. 小早川家の秋
  24. 秋刀魚の味
溝口健二監督
  1. 西鶴一代女
  2. 虞美人草
  3. 折り紙お千
  4. 女優須磨子の恋
  5. マリアのお雪
  6. 宮本武蔵
木下恵介監督
  1. 惜春鳥
  2. 陸軍
  3. 海の花火
  4. この子を残して
  5. 遠い雲
  6. 大曽根家の朝
渋谷実監督
  1. 現代人
  2. 好人好日
  3. 酔っ払い天国
  4. 自由学校
吉村公三郎監督
  1. 五人の兄弟
  2. わが生涯のかがやける日
五所平之助監督
  1. 猟銃
豊田四郎監督
  1. 雪国
田坂具隆監督
  1. 海軍
成瀬巳喜男監督
  1. あに・いもうと
アンジェイ・ワイダ監督
  1. ドイツの恋
  2. 愛の記録
  3. 白樺の林
  4. 蝿取り紙
  5. 戦いのあとの風景
  6. ザ・コンダクター
アルフレッド・ヒッチコック監督
  1. レベッカ
  2. 白い恐怖
  3. 断崖
  4. ダイヤルMを廻せ!
  5. マンクスマン
  6. 汚名

その他作品
  1. ふたりのベロニカ
  2. 愛の嵐
  3. ホテル・ニューハンプシャー
  4. 長距離走者の孤独
  5. イングリッシュマン・イン・ニューヨーク
  6. 日の名残り
  7. ジャズ大名
  8. 斬る
  9. 剣鬼
  10. 大魔神
  11. 大魔神怒る
  12. 大魔神逆襲
  13. 新・忍びの者
  14. にあんちゃん
この他にもまだたくさん貴重な作品が用意されています。黄金期の邦画に興味のある方は是非利用されてみては?







2011年11月8日火曜日

ホテル ブーンシリプレイス タイ バンコク

Boonsiri Place

55 BURANASART Road
Sanchao-pho-suea,
PRANAKORN,BANGKOK
10200 THALILAND

Tel:+66(0)2 622 2189-91
Fax:+66(0)2 662 1414
 Email:contact@boonsiriplace.com
http://www.boonsiriplace.com/



2007年7月シンガポールからタイヘ移動。出発ボードを見るが、バンコク行きが見当たらなく少々不安に。香港行きが途中バンコク経由ということで一安心。石垣→那覇→羽田みたいな感じの便。当時は空港連絡鉄道がまだ開通しておらず、1階にあるエアポートバスでカオサン方面へA-2便に乗車。予想通りバックパッカーオンリーの乗客。45分後到着。もの凄く暑いのトゥクトゥクへ乗ることに。ドライバーはホテルを探せず、通行人に聞く有様?おまけに100TBくれと譲らない。冷房完備のバスでさえあの長い距離を150TBだったのに。まあ揉めても仕方がないので。かなりディープなロケーションに突然、現れたデザイナーズ調あるいはブティック風ホテル。事前にネットで検索し発見!


部屋までの通路は広くまた開放的で南国特有の観葉植物が出迎えてくれます。確かこの頃から黄色Tシャツ集団(反タクシン派?)が広場でデモやマイクでの演説を延々とやっていましたね。


一人ではなんだか惜しいような?感じのラブリー色調の部屋でした。夜食事に出ると街娼が何人もいましたねそういえば。キャッシュディスペンサーでお金を下ろしていると、急に近づき、手を差し出されたのは少し驚きましたが、微笑み返しで「実は僕も貧乏なんだと」と言いました。



1階の奥まった場所にある朝食を食べる食堂スペース。こちらはあまりオシャレでもなく出される朝食もいったて普通。チェックアウト時タクシーをお願いするが、メインストリート迄行って乗った方が早いというなんだかな~の答えで、歩く羽目に…



こちらは街の食堂で食べた夕食の香味野菜スープ
同じく具入りオムレツ

同じくタイ風焼きそば

タイ売り上げNo.1チャンビール

2011年11月7日月曜日

クアラルンプール~シンガポール マレー鉄道



2007年7月キャセイパシフィック航空(香港ドラゴン航空含む)のアジアパスを利用し、香港、マレーシア、シンガポール、タイ、香港、インドネシア、香港を周遊。移動は香港をベースにが基本条件。出発地:成田・関西・名古屋・福岡・札幌。(ハノイ行きはベトナム航空とのコードシェア便でプラス料金、台北=ソウル間は利用不可)7セクター(区間)で101,500円。※旅程変更は発券後は不可。予約変更は1回につき8,000円で可能。目的地は21都市の中からそれぞれ1回のみの滞在。

マレーシア→シンガポール移動はマレー鉄道を利用。クアラルンプールAM:8:30出発シンガポールPM:15:30到着。自宅からマレー鉄道のwebsiteでEチケットを購入。一応一等車乗車ということでプリントアウトし、それが乗車券に。逆方向シンガポール→クアランプールだと何故か料金が倍くらいだったような気がします。



最後尾がL1の一等車ほかにニ等車、三等車(自由席)食堂車は二等車と三等車の間に。乗車時に一等車の乗客のみ、ミルクティーのウエルカムドリンクが。列車内のトイレは頻繁にスタッフが清掃をしいつも清潔でした。国際列車は以前乗車したオーストリアのウィーン~スロベニアのリュブリアーナ間以来の体験。食堂車の豪華さはやはりヨーロッパに軍配かな。寝台車だとまた趣も違うでしょうが。



食堂車へ行き注文しようとするが、冷たいジュースとスナック類以外のメニューはフライドライスしかできないということでそれを注文。4RMとお安い。量は少なめですが、目玉焼きも乗っておりおいしかったです。



サッカー日本代表の記念すべき聖地のジョホールバル。係官登場で出国手続き。しばらくしてこんどはシンガポール側で入国手続き終了。





シンガポールへ到着。両替できずに思案していたところ、タクシーがクレジットカード利用可能とのことでそのまま宿泊先のYWCA FORT CAMINNG LODGEへ直行。タクシードライバーいわくシンガポールの乗用車の8割以上が日本車で占められているとのお話?

2011年11月5日土曜日

ビエンチャン駆け巡り  ラオス

2007年5月知人がビエンチャンで期間限定のカフェを営業していたので会いに行ってきました。
正直、ラオスのイメージはピンときません。世界遺産のルアンパバーンはヨーロッパの人には人気があるらしいですが。

日本人である私は珍しい建築物や博物館、あるいはおいしい食べ物があるのかがポイントです。ハノイ経由で首都のビエンチャンに入国。首都といっても驚くくらい長閑な牧歌的な意外な社会主義国でした。



僅か4泊の短い滞在でしたので首都ビエンチャンのみの宿泊。ビザ取得の関係上、不本意ながらラオス専門のエージェントに航空券、ホテルを手配して頂きました。よってホテルのランクも最上位クラスのものに。数十年前に空き部屋がなく、仕方なく宿泊したスロベニアのリュブリアーナの五つ星ホテル以来の出来事。

知人に案内してもらう予定が、仕事の仕込みに忙しそうだったので、ティクティク(タクシー?)のおじさんに交渉して、半日拘束でビエンチャン市内の名所を巡ってもらいました。動画も押さえていたのですが、手違いで消去してしまいトホホ…

 
That Luang

タートルアン

ラオスのシンボルである高さ45mの黄金の塔。16世紀半ば、当時の王様がルアンパバーンからビエンチャンに遷都した頃に建設したらしいが詳細はわかっていないとのこと。一時期中国の侵攻で破壊されるが、1930年代に修復され今の美しい姿になった模様。

入場料:5000kip



Patousai(Anousawari)

パトゥーサイ(アーヌーサワリー)

没者慰霊塔だが1960年から建設されたが、現在も未完成のまま本来は記念碑(アーヌーサワリー)と呼ばれていたが、今は凱旋門(パトゥーサイ)と呼ばれるようになったそうである。内部見学可能。

入場料:3000kip




Wat Sisaket
ワットシーサーケート

建立は1815年。度重なる外敵からの侵入に耐え抜き、今なおその原形をとどめているという点で歴史的価値が高いと認められている寺院。シム(仏像)は回廊によって囲まれ、総計1万体以上の仏像を擁する。道路をはさんで向かいにはワットホーパケオ(Wat Ho Phakeo)寺院がある。

入場料:5000kip


 
                   Lao People's History Museum
ラオス人民軍歴史博物館

国防省管轄の軍事博物館 前庭には旧ソ連の戦車、航空機、ヘリコプターから撃墜したタイ軍の無人偵察機までも展示されている。館内の1階は軍用車両を、2階は小銃、銃器関連を展示。ラオス軍の歴史も解説しているようだがほとんど全てがラオス語のみの表示。

入場料:5000kip


                              
 
 
Kaysone Phomvihan Museum


                                                                                                                                                       
2000年にラオス共産党創立25周年と、初代ラオス人民革命党(共産党)議長及びラオス人民共和国首相であったカイリーン・ポムビハーン生誕80周年を祝して12月2日の建国記念日に誕生したカイリーン・ポムビハーン博物館。入場料3000kip
       
                                                                                                                  




2011年11月4日金曜日

台北市立美術館  中華民国台湾

設計者:高而藩

台北市104中山北路三段181号

MRT淡水線「圓山」駅出口1から東へ徒歩約10分。

入場料:30元

開館時間:9時30分~17時30分
土曜夜間開放:17時30分~20時30分(入場無料)

休館日:毎週月曜日(当日が祝日の場合開館)


1983年開館。中華民国台湾では一般的には国立故宮博物院が有名ですが、現代美術に関してはこちらです。


1920年代から現代台湾美術の発展を年代別ごと、テーマ別に収蔵しています。

地下1階地上3階の広大な展示スペースはアジア最大規模を誇ります。

                                                                                                              

常設展示の他に、新進気鋭の作家の発表の場になっていることもこの美術館の特徴かも知れません。

また海外のアーティスト作品の特別展示も積極的に開催されています。

そして建物の屋外にも現代アート作品が幾つも設置されています。




美術館の反対側にある中山美術公園は台湾ドラマのロケ地としても利用されているようです。

ミュージアムショップは他の美術館と比較してもかなり充実しているように私は感じました。

国立故宮博物院で古の中国文化を堪能したあとは新生台湾の芸術家の息吹を味わうのも楽しいと思います。





2010年11月~2011年4月に既存施設の競技場、公園を利用して開催された台湾花博で美術館も増築をしたようです。

正面反対側の南側にカフェ、売店、コインロッカーそしてギャラリースペース。本館のコンクリートと増築部分のガラス張りのコントラストが鮮やかです。2階のカフェからの眺望は期待が持てます。目の前が中山美術公園ですから。増築設計者:簡學義。



長栄航空
                                

機内食行き

機内食帰り

2011年11月3日木曜日

善の研究 西田幾多郎著(岩波書店)

日本を代表する哲学者、西田幾多郎。京都学派(西田及び田辺元に師事した哲学者たちが形成した学派のこと)の創始者。「善の研究」は金沢の第四高等学校教諭時代に書かれた戦前の日本の学生の必読書とされた哲学書。1911年(明治44年)弘道館から出版。後1921年(大正10年)岩波書店から出版される。

西洋哲学と東洋思想の融合を目指した、日本初の独創的な哲学体系と評価されている。西田は若い時から「禅」に心酔し、仏教思想も深めていた。私生活では結婚後わが子を相次いで亡くし、同時期に、母や妻も前後して世を去り、家庭的には不遇な時代を経験した。京都大学を退官した晩年は鎌倉で思索を続け、敗戦を待たずして1945年(昭和20年)6月死去。

まさしく、これが哲学書というのでしょうか?「いき」の構造どころではない難解な書物です。途中で何度も挫折しながら…戦前の学生はこんな書物が必読書とはレベルが高かったんですね!
私が思うに、明治期に書かれたというだけではなく、言葉の言い回しが独特というのか、哲学的言い回しなのかわかりませんが、スムーズになかなか前へは進みません。

序の中で本人が記していますが、書き上げた順序は第二編、弟三編、第一編、そして第四編ということだったようです。初めて読む人には、第一編を飛ばして、第二編がこの書の骨子であると述べ、更に第三編「善」は第二編の考えを基に論じた物で、独立した倫理学と見ても差し支えないと記しています。第四編は病中の作で不完全であるが、哲学の終結である宗教について記したと。

そう考えると、書かれた順番に読み返すと存外、スムーズに読破できる(わけないですね?)

私が少し理解できそうなのは、第一編、第一章 純粋経験のこの所

他人の意識は自己に経験ができず、自己の意識であっても、過去の想起、、現前であっても、これを判断した時は既に純粋の経験ではない。真の純粋経験は何らの意味もない。事実其儘の現在意識あるのみである。(中略)記憶においても、過去の意識が直ちに起こってくるのでもなく、従って過去を直覚するのでもない。過去と感じるのも現在の感情である。抽象的概念といっても決して超経験的のものではなく、やはり一種の現在意識である。

私も昔から、時間(未来・現在・過去)の概念、運命、偶然という事象に興味があり、行き着く所はやはり哲学的な自己の経験という概念の中で起こうるべき事実だけなのかも知れません。
                                 


 目次
  1. 第一編 純粋経験
    1. 第一章 純粋経験
    2. 第二章 思惟
    3. 第三章 意志
    4. 第四章 知的直観
  2. 第二編 実在
    1. 第一章 考究の出立点
    2. 第二章 意識現象が唯一の実在である
    3. 第三章 実在の真景
    4. 第四章 真実在は常に同一の形式を有
    5. 第五章 真実在の根本的方式
    6. 第六章 唯一実在
    7. 第七章 実在の分化発展
    8. 第八章 自然
    9. 第九章 精神
    10. 第十章 実在としての神
  3. 第三編 善
    1. 第一章 行為上
    2. 第二章 行為下
    3. 第三章 意志の自由
    4. 第四章 価値的研究
    5. 第五章 倫理学の諸説其一
    6. 第六章 倫理学の諸説其二
    7. 第七章 倫理学の諸説其三
    8. 第八章 倫理学の諸説其四
    9. 第九章 善
    10. 第十章 人格的善
    11. 第十一章 善行為の動機(善の形式)
    12. 第十二章 善行為の目的(善の内容)
    13. 第十三章 完全なる善行
  4. 第四編 宗教
    1. 第一章 宗教的要求
    2. 第二章 宗教の本質
    3. 第三章 神
    4. 第四章 神と世界
    5. 第五章 知と愛