自己紹介

自分の写真
ひとり旅が好きで国内47都道府県を制覇。数年前に広告会社を早期退職後ぷらぷらしながら行った国。中華人民共和国、中華民国台湾、ラオス、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシア、モンテネグロ、アルバニア、ギリシャ(コルフ島だけ)等。地元の人が食べるものを食べ、美術館を見るのが良いですね!映画に関しては、やはり映画が必要とされていた黄金期の邦画が好き。溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男、木下恵介、渋谷実、山本薩夫、新藤兼人、増村保造、森一生、三隅研次、久松静児等。 浦島太郎状態で迎えた2011.3.11 自分にできる事は少なく、考えた末除染作業に参加。しかし除染作業も一時中断し、瓦礫撤去作業と考え宮城へ来てみるが瓦礫撤去作業も一段落したようで…

2011年11月8日火曜日

ホテル ブーンシリプレイス タイ バンコク

Boonsiri Place

55 BURANASART Road
Sanchao-pho-suea,
PRANAKORN,BANGKOK
10200 THALILAND

Tel:+66(0)2 622 2189-91
Fax:+66(0)2 662 1414
 Email:contact@boonsiriplace.com
http://www.boonsiriplace.com/



2007年7月シンガポールからタイヘ移動。出発ボードを見るが、バンコク行きが見当たらなく少々不安に。香港行きが途中バンコク経由ということで一安心。石垣→那覇→羽田みたいな感じの便。当時は空港連絡鉄道がまだ開通しておらず、1階にあるエアポートバスでカオサン方面へA-2便に乗車。予想通りバックパッカーオンリーの乗客。45分後到着。もの凄く暑いのトゥクトゥクへ乗ることに。ドライバーはホテルを探せず、通行人に聞く有様?おまけに100TBくれと譲らない。冷房完備のバスでさえあの長い距離を150TBだったのに。まあ揉めても仕方がないので。かなりディープなロケーションに突然、現れたデザイナーズ調あるいはブティック風ホテル。事前にネットで検索し発見!


部屋までの通路は広くまた開放的で南国特有の観葉植物が出迎えてくれます。確かこの頃から黄色Tシャツ集団(反タクシン派?)が広場でデモやマイクでの演説を延々とやっていましたね。


一人ではなんだか惜しいような?感じのラブリー色調の部屋でした。夜食事に出ると街娼が何人もいましたねそういえば。キャッシュディスペンサーでお金を下ろしていると、急に近づき、手を差し出されたのは少し驚きましたが、微笑み返しで「実は僕も貧乏なんだと」と言いました。



1階の奥まった場所にある朝食を食べる食堂スペース。こちらはあまりオシャレでもなく出される朝食もいったて普通。チェックアウト時タクシーをお願いするが、メインストリート迄行って乗った方が早いというなんだかな~の答えで、歩く羽目に…



こちらは街の食堂で食べた夕食の香味野菜スープ
同じく具入りオムレツ

同じくタイ風焼きそば

タイ売り上げNo.1チャンビール

2011年11月7日月曜日

クアラルンプール~シンガポール マレー鉄道



2007年7月キャセイパシフィック航空(香港ドラゴン航空含む)のアジアパスを利用し、香港、マレーシア、シンガポール、タイ、香港、インドネシア、香港を周遊。移動は香港をベースにが基本条件。出発地:成田・関西・名古屋・福岡・札幌。(ハノイ行きはベトナム航空とのコードシェア便でプラス料金、台北=ソウル間は利用不可)7セクター(区間)で101,500円。※旅程変更は発券後は不可。予約変更は1回につき8,000円で可能。目的地は21都市の中からそれぞれ1回のみの滞在。

マレーシア→シンガポール移動はマレー鉄道を利用。クアラルンプールAM:8:30出発シンガポールPM:15:30到着。自宅からマレー鉄道のwebsiteでEチケットを購入。一応一等車乗車ということでプリントアウトし、それが乗車券に。逆方向シンガポール→クアランプールだと何故か料金が倍くらいだったような気がします。



最後尾がL1の一等車ほかにニ等車、三等車(自由席)食堂車は二等車と三等車の間に。乗車時に一等車の乗客のみ、ミルクティーのウエルカムドリンクが。列車内のトイレは頻繁にスタッフが清掃をしいつも清潔でした。国際列車は以前乗車したオーストリアのウィーン~スロベニアのリュブリアーナ間以来の体験。食堂車の豪華さはやはりヨーロッパに軍配かな。寝台車だとまた趣も違うでしょうが。



食堂車へ行き注文しようとするが、冷たいジュースとスナック類以外のメニューはフライドライスしかできないということでそれを注文。4RMとお安い。量は少なめですが、目玉焼きも乗っておりおいしかったです。



サッカー日本代表の記念すべき聖地のジョホールバル。係官登場で出国手続き。しばらくしてこんどはシンガポール側で入国手続き終了。





シンガポールへ到着。両替できずに思案していたところ、タクシーがクレジットカード利用可能とのことでそのまま宿泊先のYWCA FORT CAMINNG LODGEへ直行。タクシードライバーいわくシンガポールの乗用車の8割以上が日本車で占められているとのお話?

2011年11月5日土曜日

ビエンチャン駆け巡り  ラオス

2007年5月知人がビエンチャンで期間限定のカフェを営業していたので会いに行ってきました。
正直、ラオスのイメージはピンときません。世界遺産のルアンパバーンはヨーロッパの人には人気があるらしいですが。

日本人である私は珍しい建築物や博物館、あるいはおいしい食べ物があるのかがポイントです。ハノイ経由で首都のビエンチャンに入国。首都といっても驚くくらい長閑な牧歌的な意外な社会主義国でした。



僅か4泊の短い滞在でしたので首都ビエンチャンのみの宿泊。ビザ取得の関係上、不本意ながらラオス専門のエージェントに航空券、ホテルを手配して頂きました。よってホテルのランクも最上位クラスのものに。数十年前に空き部屋がなく、仕方なく宿泊したスロベニアのリュブリアーナの五つ星ホテル以来の出来事。

知人に案内してもらう予定が、仕事の仕込みに忙しそうだったので、ティクティク(タクシー?)のおじさんに交渉して、半日拘束でビエンチャン市内の名所を巡ってもらいました。動画も押さえていたのですが、手違いで消去してしまいトホホ…

 
That Luang

タートルアン

ラオスのシンボルである高さ45mの黄金の塔。16世紀半ば、当時の王様がルアンパバーンからビエンチャンに遷都した頃に建設したらしいが詳細はわかっていないとのこと。一時期中国の侵攻で破壊されるが、1930年代に修復され今の美しい姿になった模様。

入場料:5000kip



Patousai(Anousawari)

パトゥーサイ(アーヌーサワリー)

没者慰霊塔だが1960年から建設されたが、現在も未完成のまま本来は記念碑(アーヌーサワリー)と呼ばれていたが、今は凱旋門(パトゥーサイ)と呼ばれるようになったそうである。内部見学可能。

入場料:3000kip




Wat Sisaket
ワットシーサーケート

建立は1815年。度重なる外敵からの侵入に耐え抜き、今なおその原形をとどめているという点で歴史的価値が高いと認められている寺院。シム(仏像)は回廊によって囲まれ、総計1万体以上の仏像を擁する。道路をはさんで向かいにはワットホーパケオ(Wat Ho Phakeo)寺院がある。

入場料:5000kip


 
                   Lao People's History Museum
ラオス人民軍歴史博物館

国防省管轄の軍事博物館 前庭には旧ソ連の戦車、航空機、ヘリコプターから撃墜したタイ軍の無人偵察機までも展示されている。館内の1階は軍用車両を、2階は小銃、銃器関連を展示。ラオス軍の歴史も解説しているようだがほとんど全てがラオス語のみの表示。

入場料:5000kip


                              
 
 
Kaysone Phomvihan Museum


                                                                                                                                                       
2000年にラオス共産党創立25周年と、初代ラオス人民革命党(共産党)議長及びラオス人民共和国首相であったカイリーン・ポムビハーン生誕80周年を祝して12月2日の建国記念日に誕生したカイリーン・ポムビハーン博物館。入場料3000kip
       
                                                                                                                  




2011年11月4日金曜日

台北市立美術館  中華民国台湾

設計者:高而藩

台北市104中山北路三段181号

MRT淡水線「圓山」駅出口1から東へ徒歩約10分。

入場料:30元

開館時間:9時30分~17時30分
土曜夜間開放:17時30分~20時30分(入場無料)

休館日:毎週月曜日(当日が祝日の場合開館)


1983年開館。中華民国台湾では一般的には国立故宮博物院が有名ですが、現代美術に関してはこちらです。


1920年代から現代台湾美術の発展を年代別ごと、テーマ別に収蔵しています。

地下1階地上3階の広大な展示スペースはアジア最大規模を誇ります。

                                                                                                              

常設展示の他に、新進気鋭の作家の発表の場になっていることもこの美術館の特徴かも知れません。

また海外のアーティスト作品の特別展示も積極的に開催されています。

そして建物の屋外にも現代アート作品が幾つも設置されています。




美術館の反対側にある中山美術公園は台湾ドラマのロケ地としても利用されているようです。

ミュージアムショップは他の美術館と比較してもかなり充実しているように私は感じました。

国立故宮博物院で古の中国文化を堪能したあとは新生台湾の芸術家の息吹を味わうのも楽しいと思います。





2010年11月~2011年4月に既存施設の競技場、公園を利用して開催された台湾花博で美術館も増築をしたようです。

正面反対側の南側にカフェ、売店、コインロッカーそしてギャラリースペース。本館のコンクリートと増築部分のガラス張りのコントラストが鮮やかです。2階のカフェからの眺望は期待が持てます。目の前が中山美術公園ですから。増築設計者:簡學義。



長栄航空
                                

機内食行き

機内食帰り

2011年11月3日木曜日

善の研究 西田幾多郎著(岩波書店)

日本を代表する哲学者、西田幾多郎。京都学派(西田及び田辺元に師事した哲学者たちが形成した学派のこと)の創始者。「善の研究」は金沢の第四高等学校教諭時代に書かれた戦前の日本の学生の必読書とされた哲学書。1911年(明治44年)弘道館から出版。後1921年(大正10年)岩波書店から出版される。

西洋哲学と東洋思想の融合を目指した、日本初の独創的な哲学体系と評価されている。西田は若い時から「禅」に心酔し、仏教思想も深めていた。私生活では結婚後わが子を相次いで亡くし、同時期に、母や妻も前後して世を去り、家庭的には不遇な時代を経験した。京都大学を退官した晩年は鎌倉で思索を続け、敗戦を待たずして1945年(昭和20年)6月死去。

まさしく、これが哲学書というのでしょうか?「いき」の構造どころではない難解な書物です。途中で何度も挫折しながら…戦前の学生はこんな書物が必読書とはレベルが高かったんですね!
私が思うに、明治期に書かれたというだけではなく、言葉の言い回しが独特というのか、哲学的言い回しなのかわかりませんが、スムーズになかなか前へは進みません。

序の中で本人が記していますが、書き上げた順序は第二編、弟三編、第一編、そして第四編ということだったようです。初めて読む人には、第一編を飛ばして、第二編がこの書の骨子であると述べ、更に第三編「善」は第二編の考えを基に論じた物で、独立した倫理学と見ても差し支えないと記しています。第四編は病中の作で不完全であるが、哲学の終結である宗教について記したと。

そう考えると、書かれた順番に読み返すと存外、スムーズに読破できる(わけないですね?)

私が少し理解できそうなのは、第一編、第一章 純粋経験のこの所

他人の意識は自己に経験ができず、自己の意識であっても、過去の想起、、現前であっても、これを判断した時は既に純粋の経験ではない。真の純粋経験は何らの意味もない。事実其儘の現在意識あるのみである。(中略)記憶においても、過去の意識が直ちに起こってくるのでもなく、従って過去を直覚するのでもない。過去と感じるのも現在の感情である。抽象的概念といっても決して超経験的のものではなく、やはり一種の現在意識である。

私も昔から、時間(未来・現在・過去)の概念、運命、偶然という事象に興味があり、行き着く所はやはり哲学的な自己の経験という概念の中で起こうるべき事実だけなのかも知れません。
                                 


 目次
  1. 第一編 純粋経験
    1. 第一章 純粋経験
    2. 第二章 思惟
    3. 第三章 意志
    4. 第四章 知的直観
  2. 第二編 実在
    1. 第一章 考究の出立点
    2. 第二章 意識現象が唯一の実在である
    3. 第三章 実在の真景
    4. 第四章 真実在は常に同一の形式を有
    5. 第五章 真実在の根本的方式
    6. 第六章 唯一実在
    7. 第七章 実在の分化発展
    8. 第八章 自然
    9. 第九章 精神
    10. 第十章 実在としての神
  3. 第三編 善
    1. 第一章 行為上
    2. 第二章 行為下
    3. 第三章 意志の自由
    4. 第四章 価値的研究
    5. 第五章 倫理学の諸説其一
    6. 第六章 倫理学の諸説其二
    7. 第七章 倫理学の諸説其三
    8. 第八章 倫理学の諸説其四
    9. 第九章 善
    10. 第十章 人格的善
    11. 第十一章 善行為の動機(善の形式)
    12. 第十二章 善行為の目的(善の内容)
    13. 第十三章 完全なる善行
  4. 第四編 宗教
    1. 第一章 宗教的要求
    2. 第二章 宗教の本質
    3. 第三章 神
    4. 第四章 神と世界
    5. 第五章 知と愛

2011年11月2日水曜日

「いき」の構造 九鬼周造著(岩波文庫)

前回取り上げた岡倉天心と因縁のある九鬼周造の代表作です。1930年(昭和5年)岩波書店より出版。父親は九鬼水軍の末裔で明治の文部官僚を代表し、初代駐米公使を務めた九鬼隆一男爵。母親は星崎波津子(初子)。波津子は花柳界にいたとの説もあり、九鬼周造も学生時代から、東京の江戸花柳界で遊び、京都帝大教授時代の二番目の妻は祇園の芸妓の女性でした。天心と波津子の恋愛?が原因で九鬼と離婚後、天心との妻との確執の末、精神に異常をきたし、母親は非業の死を遂げます。そんな関係から、九鬼周造は幼少期の頃、自宅に来る天心を父親のように思っていたようです。そんな背景があり、日本民族にとっての独自の美意識をあらわす語「いき(粋)」とはなにかということを自身の体験から深く掘り下げることが出来たのかも知れません。

日本の伝統風習文化が身近ではない北海道に生まれた私にとってはかなり難解な書籍でしたが、「いき」の芸術的表現にでてくる日本独自の微妙な色の呼び名の豊かさにあらためて驚きました。色の表現にしてから既に”いき”です。

そして、表紙にもある図解の説明には感心しました。

まずは直六面体の正方形をなす上下の両面を、底面を人生的一般性。上面を異性的特殊性と考え、八つの頂点に八つの趣味を置く。対角線によって結び付けられる趣味は相対立する一対になる。

上面は、渋み━甘み、野暮━意気。底面は、地味━派手、上品━下品。更にそれぞれの頂点を正方形の各辺によって結び付けられた頂点、意気━渋み、側面の矩形において対角線によって結び付けられる頂点、意気━派手、直六面体の側稜によって結び付けられた頂点、意気━上品、直六面体によって結び付けられた頂点、意気━下品等と常に何らかの対立を示していて、その対立の原理を対自性と対他性と捉え、対自性の対立は価値判断に基づくもの。対立者は有価値的と反価値的との対照。対他性の対立は価値とは無縁な物で対立者は積極性と消極性にわけることができると考える。

かなり混乱してきました!そして、底面の正方形の二つの対角線の交点をOとし、上面の正方形の二つの対角線をPとして、この二点を結びつける法線OPを引いてみる。

この相交わる直線が、意気━上品の矩形は有価値性を表し、野暮━下品の矩形は反価値性を表し、甘み━派手は積極性、渋み━地味の矩形は消極性を表す。

更に、そこから話が「さび」とはO、上品、地味のつくる三角形と、P、意気、渋みのつくる三角形とを両端面に有する三角柱。この三角柱の形こそが民族としての趣味上の最大の特色である。

「雅(みやび)」とは上品と地味と渋みとのつくる三角形を底面とし、Oを頂点とする四面体の中に存在する。

「味」とは甘みと意気と渋みとのつくる三角形で表す。

「乙(おつ)」とはこの同じ三角形を底面とし、下品を頂点とする四面体に位置するもの。

「気障(きざ)」は派手と下品とを結びつける直線状にあるもの…

なんだかこの図形は物凄い発見のように思われました。

九鬼周造は結論として、「いき」は武士道の理想主義と仏教の非現実性とに対して不離の肉体的関係に立っている。運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」であると。

そして、人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向かって悩ましい憧憬を懐く民族ならずして媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。

ドイツ、フランスをはじめ8年間のヨーロッパでの勉学の末やはり興味の対象は日本の美と文化に惹かれていく結末は少し理解できそうな気がします。

※他にこの文庫には「風流に関する一考察」「情緒の系図」が収められています。





2011年11月1日火曜日

茶の本 岡倉覚三著・村岡博訳(岩波文庫)

原題:THE BOOK OF TEA 1906 Kakuzo Okakuraを1906年フォックス・ダーフィルド社出版(アメリカ ニューヨーク)から出版。その後、フランス語訳、ドイツ語訳が出版される。これは The Ideals of the  East-with special reference to the art of japan 1903邦題:「東洋の思想(東邦の理想)」 ジョンマレー書店(イギリスロンドン)から出版。          The Awakening of Japan 1904 邦題:「日本の目覚め」ジョン・マレー書店(イギリス ロンドン)及センチュリー会社(アメリカ ニューヨーク)より出版に続く英語著作の第3弾。日本語訳が出たのは1929年(昭和4年)の当岩波文庫版が初めて。本名の覚三より天心(臓の手術の痕がの字に見えたそうです)の方が馴染み深いですね。天心は貿易商の父の許で横浜に育ったこともあり、幼い頃より英語に慣れ親しんだそうです。





当文庫の解説を書かれている福原麟太郎(英文学者)氏の解説文が簡潔明瞭ですのでそのまま引用させて頂きます。

茶の湯によって精神を修養し、交際の礼法をきわめるのが茶道である。その理想は、禅でいうところの「自生了解」の悟りの境に至ることである。この本は、そうした「茶」を西洋人に理解させるために著者が英文で書いたもので、単なる茶道の概説書ではなく、日本に関する独自の文明論ともいうべき名著。

第1章 人情の碗

第2章 茶の諸流

第3章 道教と禅道

第4章 茶室

第5章 芸術鑑賞

第6章 花

第7章 茶の宗匠

僅か67ページの本文ですが、内容は深いものがあります。がしかし、各章にはそれぞれ要約というか、ポイントなるべきフレーズが幾つも記されています。例えば。第4章の茶室では ━茶室は茅屋に過ぎない  ━茶室の簡素純潔 ━茶室の構造における象徴主義 ━茶室の装飾法 ━外界のわずらわしさを遠ざかった聖堂  といった具合に。

まあ私たちも、実際は、紅茶やコーヒー(それ以外も多々あるので…)を飲むときにでも、お茶にしようかと言いますよね?今の若者はどうなのでしょうか?私が会社員時代には、同僚や部下には外勤営業の途中でカフェに入る場合でも「茶でもどう?」が合言葉でしたが…

旅先で知り合ったイギリス人はやはり紅茶党で一日何度も大きなマグカップで飲むと言っていました。まあ、コーヒーも飲まないわけではないようでしたが。実際、ロンドンのB&Bにも室内にはティーパッグの紅茶がわんさかと用意されていましたの思い出しました。お茶は単なる嗜好品の飲み物というよりは、やはりその国々の文化や伝統を引きずっている習慣のような行為なのかも知れません。

私は正式な茶会の経験はなく、体験講座に何度か参加したことがありますが、正座が苦痛な人間で正式には作法を習い損ないましたが、今更ながら後悔しています。